Abstract : |
「緒言」僧帽弁膜症の外科の歴史は, 1925年5月英国のSir Henry Souttar1)が19才の僧帽弁狭窄の少女に左心耳から右示指を挿入して狭窄弁口の開大を行なつて成功したことに始まる. この歴史的事実は今日汎く一般に普及しているclosed mitral commissurotomyの端緒を開いたものである. またmitral insufficiencyに対してはplastic surgeryの範疇に属するprocedureが幾多の変遷を繰返えして試みられてきたが, 1960年代の初期から始められたStarr2), Harken3)らの人工弁移植術の成功を契機に飛躍的な発展を遂げ, 今日stenosis, insufficiencyを問わず, ひどく荒廃した僧帽弁の, 人工弁をもつてするreplacementが安定した術式として賞用されるに至つている. 一方, 体外循環の進歩とともに, stenosisのみでも状況によつてはopen repairをすべきであると主張する人々もあり, 合併する閉鎖不全もからんでprosthetic replacementか, それ以外のplastic surgeryかについてもなお議論が分かれる問題もあり, 僧帽弁疾患にいつ, いかなるprocedureを施すか, という適応決定については, 必ずしも一定の見解が示されているとは言えない現状である. |